猪爪寅子【いのつめともこ】のモデルは誰?三淵嘉子の弁護士の大学や旦那と結婚は二度?

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朝ドラ「虎に翼」のヒロインは伊藤沙莉さん演じる女性初の弁護士の猪爪寅子【いのつめ ともこ】ですが実在モデルは誰でしょうか?猪爪寅子(いのつめともこ)のモデルの三淵嘉子さんについて、大学や二度の結婚!?をして旦那さんなど波乱万丈な人生の史実をご紹介です。

目次

猪爪寅子【いのつめともこ】とは?日本初の女性弁護士

猪爪寅子【いのつめともこ】とは?日本初の女性弁護士

猪爪 寅子
いのつめ ともこ
大正3年(1914)五黄(ごおう)の寅年に生まれ、寅子(ともこ)と名付けられる。女学校の卒業を迎えた年、お見合い結婚を勧める母親を振り切って、女性に法律を教える日本で唯一の学校への入学を決意。そこで出会った仲間たちと切磋琢磨(せっさたくま)し、やがて日本初の女性弁護士となる。世間知らずで自信家の所もあるが、全てに全力の人。弁護士として、裁判官として、一歩ずつ成長していく。あだ名は“トラコ”。

引用元:https://www6.nhk.or.jp/nhkpr/post/original.html?i=37688

「寅」の子と書いて「ともこ」。強い名前ですよね。名前の通り、強いヒロインとのことです。

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「日本初の女性弁護士」となる女性なので、女性は早く結婚して家を守るのが当たり前だった時代に弁護士となるのは、様々な逆風があることが予想されるので、強い女性でないとなれないかもしれません。

そして弁護士として活躍した後、裁判官となる猪爪寅子。

そんな寅子を主人公にした物語のあらすじとは?

あらすじは?

昭和4年(1929)、日本初の女性専門に法律を教える学校ができます。そこへ集ったのは、当時の日本のどこにも収まれない、あふれ出す何かを抱えた女性たちでした。この物語の主人公・猪爪寅子も、そんな収まれない女性。周囲から“魔女部”と陰口をたたかれた女性だけの学び舎やで、彼女たちは自らの道を切り開くため法律を学んでいきます。
昭和13年(1938)、卒業生から日本初の女性弁護士が誕生します。寅子もその一人として日本中から注目され憧れの的になります。しかし弁護士として意気揚々と世に出た彼女たちを待ち受けていたのは、戦争へと突き進んでいく日本でした。法学という社会に羽ばたく翼を得たはずが、それを使える場は急速に消えてしまいます。
昭和20年(1945)、焼け野原に立つ寅子は全てを失っていました。明日生きるため頼れるのは、かつて学んだ法律だけ。彼女は裁判官になることを決意。戦争で親を亡くした子どもや苦境に立たされた女性たちのため、家庭裁判所の設立に奔走することになります。
そして、寅子はついに裁判官になります。彼女とその仲間たちは、政治でも経済でも解決できない、追いつめられた人々の半径5メートルの世界を見つめ、その苦境から救うため情熱をもって向き合っていきます。

引用元:https://www6.nhk.or.jp/nhkpr/post/original.html?i=37688

母親の反対を押し切り、女性弁護士になるまでと、なった後に戦争へと突き進み、戦後に裁判官になる決意をする寅子。また結婚を経験することもわかっていて、朝ドラならではの、波乱万丈な人生が描かれるようです。

実話なの?原作はある?

そんな朝ドラ「寅に翼」ですが、実話の物語なのでしょうか?原作はある?

※実在の人物である三淵嘉子さんをモデルとしますが、激動の時代を生きた一人の女性法曹とその仲間たちの波乱万丈の物語として大胆に再構成します。登場人物名や団体名などは一部改称して、フィクションとして描きます。原作はありません。

引用元:https://www6.nhk.or.jp/nhkpr/post/original.html?i=37688

公式では、実在の人物・三淵嘉子さんをモデルとした物語であること、しかしその史実を大胆に再構成している「フィクション」であり実話ではないことが説明されています。

しかしおそらく実話を盛り込んだ内容になっているのでは?と思います。

以降では、そんなヒロイン・猪爪寅子は誰なのか?詳しくご紹介です。

猪爪寅子【いのつめともこ】のモデルは誰?三淵嘉子で実在の弁護士!

猪爪寅子【いのつめともこ】のモデルは誰?三淵嘉子で実在の弁護士!

朝ドラ「「虎に翼」」のモデルは三淵嘉子(みぶちよしこ)さん!実在の女性初の弁護士となられた方です。また後に裁判官になり女性として初めての裁判所長も務められたすごい方なんです。

今回の朝ドラ放送を受けて、今まで発売されている三淵嘉子さんの著書が注目されていて、また新たな書籍も次々と発売されています。

シンガポールで生まれる!エリート銀行員の長女

三淵嘉子さんは1914年(大正3年)シンガポールで生まれました。

父親は台湾銀行勤務の武藤貞雄さん。母親のノブさんとの間に長女として誕生し、4人の弟たちがいます。

お父様は東大法学部を出たエリートで、生まれた当時は父親はシンガポール支店に勤務していました。

その後父親はニューヨーク勤務に。単身赴任だったそうで、ご家族は母親のご実家の香川県で暮らしていたそうです。

そして父親が1929年に帰国すると、東京渋谷区に住居を構えました。

弟たちからも慕われる、快活な少女だったそうです。

父親は男女平等で、とても民主的な考え方を持ち、まだ幼かった嘉子さんにこう話していたそうです。

普通のお嫁さんになる女性にはなるな。男性と同じように、政治でも経済でも理解できるようになれ。何か専門の仕事を持つ勉強をしなさい。医者や弁護士はどうか?

戦前にこのような自立した女性になれ、と言う父親はとても少なかったと思います。

1927年に東京女子高等師範学校附属高等女学校(お茶の水女子大学付属高等学校の前身)に入学。ダンスが得意で女子高でも人気だったという三淵嘉子さん♪

当時から成績が優秀でご両親の自慢だったそうです。

宝塚歌劇団のファンで、謝恩会では「青い鳥」のチルチルを演じ、アイドル的存在に(≧∇≦)

卒業近くになり、父親の助言から法律を学ぶ決意をしました。当時から非常に民主的な思想を持った方だったそうです。

当時は卒業後は、花嫁修業をして結婚に備える女性が多かった時代。

父親とは逆に、母親のノブさんは「お嫁に行けなくなる」と泣き出したそうです。

明治大学に入学し法律を学ぶ!

1932年に当時女子に唯一法学の門戸を開いていた、明治大学専門部女子部法科に入学。

このときにはまだ、女性には弁護士や裁判官になるための受験資格はありませんでしたが、入学の翌年に女性にも受験資格が与えられるようになりました。

明治大学の学生だったとき、三淵嘉子さんはこう語っておられたそうです。

小学校卒業以来異性とは全く交渉のない当時の学生にとっては、お互いに関心はあっても口を利く勇気はなく、女子学生は常に教室の前の方に集団で席を取って授業を受け、授業外でも女子だけで行動する有様で、やはり女子学生は男子学生の勉学の場を拝借させて頂いているという感じだった。しかし・・・成績に関しては本家の男子学生を凌ぐものがあり、当時の明大の男子学生にとって女子学生の存在は競争刺激剤としての存在意義があったのではなかろうか。

引用元 明治大学資料センター

まだまだ男尊女卑が色濃く残る時代。そんな中、大学に進学した女性たちは、非常に優秀だったのでは?と思います。

1938年に高等試験司法科試験に合格し、明治大学を卒業。

この年に合格した3人の女性は、女性弁護士誕生となる、初の快挙として新聞でも取り上げられました。

戦争が激化していくなか、社会に出て働きたいと考える女性たちに、勇気と希望をあたえたそうです。

新聞の第1面に「女性弁護士登場」として、3人の写真が掲載され、三淵嘉子さんのコメントも掲載されました。

之から先の方針も未だ決まって居りません状態です。仮令若し弁護士になるに致しましても職業として立って行くと云ふよりは、只管不幸な方々の御相談相手として少しでも御力になりたいと思って居ります。それには余りにも世間知らずの無力な、空虚な自分を感じます。晩成を期して、学問の上でも、社会の事に就いてももっともっと勉強し、経験を積んでその上での事でございます。そこ迄自分がやって行けますか何うか・・・・・・。只私の望みは仮令何の道を歩むに致しましても夫々の道に応じて、世の為、人の為、自己の最善を尽したいと思ふのみでございます。

引用元 明治大学資料センター

その3人の女性は、三淵嘉子さんと同級生の中田正子さん、そして1学年下の久米愛さんです。

中田正子さんはのちに衆議院議員の夫を支えながら、鳥取市内に弁護士事務所を開いて活動。鳥取弁護士会会長も務められました。

久米愛さんはのちに、女性弁護士として初めて刑事裁判の法廷に立ち、戦後は得意の英語力を活かし、米兵と日本人女性の離婚調停なども手がけました。

弁護士の道へ

一緒に合格した3人は、丸の内の弁護士事務所で、修習生として1年半を過ごします。昼休みは毎日集まり、ランチを楽しまれたそうです。

1940年に第二東京弁護士会に弁護士登録。いよいよ初の女性弁護士が誕生しました!このとき三淵嘉子さんは26歳。

しかしこのころは戦争が激化していて、民事事件の数が減っていました。

三淵嘉子さんは弁護士としての活動は、ほとんどできなかったそうです。

そのため三淵嘉子さんは、母校の女子部法科の助手や、助教授となって後進の指導に当たりました。

三淵嘉子の旦那とは?二度の結婚で波乱万丈!?

三淵嘉子の旦那は和田芳夫!結婚後に戦争で悲しい別れ

1941年に武藤家の書生をしていた、和田芳夫さんとご結婚。

「虎に翼」では書生ということで、仲野太賀さん演じる佐田優三のモデルにあたるのでは?と思います。

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1943年に第一子の芳武が誕生しますが、芳夫さんは1944年に招集され戦争に行ってしまいます。

空襲で家が焼失し、幼い息子を抱え、福島に疎開しました。

終戦後の1946年、招集先の中国で発病した芳夫さん。引き揚げ途中の長崎で病死してしまいます。

弟も戦死していて、三淵嘉子さんは息子と弟の妻子とともに、福島から両親の住む川崎市へ移り住みました。

戦後は裁判官になる決意!アメリカ視察も

その両親も相次いで亡くなり、三淵嘉子さんは1947年、家族を養うため、経済的自立するために、「弁護士でなく裁判官になる」ことを決意します。

そして、裁判官採用願を司法省に提出します。

女性だからという理由で、裁判官としての採用は認められませんでしたが、裁判官としての仕事を学ぶため、司法省で勉強するよう勧められます。

家庭局創設に伴い、初代家庭局局付に就任し、1949年に女性として二人目となる東京地裁判事補に就任。

昭和25年には、アメリカで家庭裁判所を学ぶメンバーに選ばれて、およそ半年間アメリカで家庭裁判所を視察します。

またお子さんが7歳だったことで、悩まれたそうですが、同居していた弟夫婦に世話を頼んだそうです。

1952年に名古屋地方裁判所で、初の女性判事になりました。

その後東京地裁で判事補となり、「私は男女が差別される時代に育ったせいか、建前論を主張するよりは女性が実績を上げて社会を納得させることが大切だ」という信念のもと、裁判の経験を積んでいきます。

二度めの結婚!夫は裁判官の三淵乾太郎

1956年に裁判官で、前妻を亡くしていた三淵乾太郎さんと再婚。乾太郎さんの連れ子たちと衝突しながらも、育て上げ社会に送り出しました。

2回目の結婚相手、夫の三淵乾太郎さんは、まだ確実ではないですが、岡田将生さんが演じる星航一では?と言われています。

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この年に日本の裁判所で初めて「原爆投下は国際法違反」と明言されています。

この判決は、その後の被爆者援護のための法整備につながりました。

1963年から1972年まで、東京家裁判事として、5000人を超える少年少女の審判を担当されました。

刑事裁判と違い、少年審判に関わることは、一人の人間の一生に責任を持つこと、という信念を持って当たられていたそうです。

1972年に新潟家裁所で、女性として初めて裁判長に就任!そのご浦和、横浜の家裁所長となり、ご活躍されます。

晩年は弁護士になり活躍を続ける

1978年に横浜地裁の所長となり、1979年に退官。1980年にまた弁護士となり、日本婦人法律家協会の会長や、労働省男女平等問題専門家会議の座長なども務められました。

短期大学創立50周年記念公演で、三淵嘉子さんは学生たちにこう語りかけています。

(戦後に華々しく社会的活動を始めた女性たちのうちエリート意識が強い人たちがいるけれども)女子部の人たちはエリート意識を持ちませんでした。大学で法律や経済を学ぶこと自体、社会から白眼視されていたのですから、エリート意識は持てませんでした。自分に力をつけて、そして人間らしく生きていこうという気持ちが強く、職場でも地味に働いていました。私は、今でも皆様方にエリート意識など持って欲しくないのです。あなた方がどこに出ても一人前の人間として自立していくという、この明大の伝統を、これからも受け継いでいっていただければ本当にうれしいと思います。

引用元 明治大学資料センター

1984年、骨癌のため69歳でお亡くなりになっています。葬儀と告別式には、2000人もの人々が訪れ、別れを惜しんだそうです。

家裁の母

多くの少年少女たちの裁判を担当されてきた三淵嘉子さん。審判の場で事件を起こした少年に、立ち直ってほしいと涙ながらに語り掛けることもありました。

事件の背後にある家庭問題を見つけ出し、修復のため家族に働きかけることも。

薄汚れていた調停室の壁を明るく塗り替えたり、絵やカーテンを新調したり、昼休みは廊下に静かな音楽を流すなど、悩みを抱えて訪れる人々の心を少しでも和ませようとする努力もされました。

少年法の対象年齢を引き下げる議論が起こり始めると、三淵嘉子さんは少年法を守り引き下げ阻止に尽力されています。

裁判長になってからも、自ら少年事件を引き受け続け、定年退官まで若い職員たちから「うちのお母さん」と呼ばれ慕われていたそうです。

このように三淵嘉子さんは、法曹の世界で女性として初めて裁判長になられ、特に家裁で少年少女の今後のため、生涯をかけて尽力された人物です。

猪爪寅子役のキャスト女優の伊藤沙莉とは?

プロフィール

伊藤沙莉

生年月日: 1994年5月4日

子役時代から安定感のある演技力には定評があり、数々の作品に出演。生まれ持った芝居のセンスでシリアスもコメディもこなす、将来有望な個性派女優。

引用元:https://alpha-agency.com/artist/ito/

現在年齢は29歳の伊藤沙莉さんは、子役として幼いころから活躍していた女優さんです。

9歳のドラマデビューを果たし、『女王の教室』などの作品に出演。

女王の教室』では、主演の天海祐希さんからこんな言葉をかけられたというエピソードをトーク番組でお話しされていました。

《あなたはカメラが自分に向いていない時でも常に気を抜かずにお芝居をしてる。端っこで踊ってる時でもお芝居をしてる時でも意外とね、見てくれてる人はいるのよ。自分なんて誰も見てないって思う時もあるかもしれないけど、そんなことない。この先何があってもどっかで誰かが見てるし、必ず誰かが見つけてくれるし認めてくれるから》

生徒役の1人だった伊藤沙莉の才能に気づいた天海祐希さんも素晴らしいですし、売れるべくして売れたんだな~とわかるエピソードですね。

そして子役時代から活動していた伊藤沙莉ですが、中学にあがると、仕事が減っていき「売れない子役」とヒドイことを周囲から言われていた時期もあったそうですが、徐々に活躍の幅を広げて、現在では多くの作品で主演や主人公の相手役を演じる人気女優に!

昨年には織田裕二さんと共演してドラマ「シッコウ!!〜犬と私と執行官〜」で主演されていました。

出演作品

映画

’06年 「イヌゴエ幸せの肉球」 監督:横井健司
’07年 「兎のダンス」主演 監督:池田千尋
’08年 「東南角部屋二階の女」 監督:池田千尋
’11年 「Lost Harmony」 監督:土岐善将
’12年 「悪の教典」 監督:三池崇史
’12年 「鈴木先生」 監督:河合勇人
’13年 「恋につきもの」 監督:桝井大地
’15年 「超能力研究部の3人」 監督:山下敦弘
’15年 「幕が上がる」 監督:本広克行
’15年 「家族ごっこ」 監督:内田英治・木下半太
’16年 「KABUKI DROP」 監督:上條
’16年  全員、片想い「MY NICKNAME is BUTATCHI」主演  監督:飯塚健
’17年 「一週間フレンズ」 監督:村上正典
’17年 「ブルーハーツが聴こえる」 監督:飯塚健
’17年 「THE LAST COP/ラストコップ」 監督:猪股隆一
’17年 「獣道」 監督:内田英治
’18年 「blank 13」 監督:齊藤工
’18年 「パンとバスと2度目のハツコイ」 監督:今泉力哉
’18年 「榎田貿易堂」 監督:飯塚健
’18年 「寝ても覚めても」 監督:濱口竜介
’19年 「21世紀の女の子『projection』」 監督:金子由里奈
’19年 「ペット2」日本語吹替版
’19年 「ブルーアワーにぶっ飛ばす」 監督・脚本:箱田優子
’19年 「生理ちゃん」 監督:品田俊介
’20年 「ステップ」 監督:飯塚健
’20年 「劇場」 監督:行定勲
’20年  TOKYO TELEWORK FILMS#1「TELEWORK SESSION」 監督:齊藤工
’20年 「蒲田前奏曲 呑川ラプソディ」 監督:穐山茉由
’20年 「小さなバイキング ビッケ」(主人公ビッケの声)
’20年 「タイトル、拒絶」 監督:山田佳奈
’20年 「十二単衣を着た悪魔」 監督:黒木瞳
’20年 「ホテルローヤル」 監督:武正晴
’21年 「えんとつ町のプペル」(アントニオの声)
’21年  TOKYO TELEWORK FILMS#3「HOME FIGHT」 監督:齊藤工
’21年 「ボクたちはみんな大人になれなかった」 監督:森義仁
’22年 「シチリアを征服したクマ王国の物語」(日本語吹替版) 監督:ロレンツォ・マトッティ
’22年 「ちょっと思い出しただけ」 監督:松居大悟
※第34回東京国際映画祭 観客賞、スペシャルメンション受賞、第25回ファンタジア国際映画祭カメラ・ルシダ部門最高賞受賞
’22年 「アクターズ・ショート・フィルム2『あんた』」 監督:千葉雄大
※SSFF&ASIA2022でベストアクターアワード(ジャパン部門)受賞
’22年 「映画ざんねんないきもの事典」※ナビゲーター グララの声で出演
’22年 「ジュラシック・ワールド 新たなる支配者」(日本語吹替版・ケイラ役)
’22年 「MIRRORLIAR FILMS Season4 女優iの憂鬱/COMPLY+-ANCE」 監督:齊藤工
’22年 「すずめの戸締まり」 監督:新海誠
’22年 「月の満ち欠け」 監督:廣木隆一
’23年 「宇宙人のあいつ」 監督:飯塚健
’23年 「探偵マリコの生涯で一番悲惨な日」 監督:内田英治/片山慎三

テレビ・配信

’03年 「14ヶ月~妻が子供に還っていく~」(NTV)
’04年 「みんな昔はこどもだった」若槻モモ役(CX)
’05年 「女王の教室」田中桃役(NTV)
’05年 「箱入り娘のクリスマス」(TBS)
’06年 「硫黄島~戦場の郵便配達」(CX)
’06年 「僕の歩く道」(CX)
’06年 「コシノ家の女たち」(NTV)
’06年 「新宿区歌舞伎町駆け込み寺」(CX)
’06年 「ちびまる子ちゃん~仲良しの集い~」白河さん役(CX)
’07年 「オトコの子育て」佐藤美香役(EX)
’07年 「私たちの教科書」山西麻衣役(CX)
’07年 「菊次郎とさき」第7話(EX)
’07年 「演歌の女王」(NTV)
’08年 「スクラップティーチャー教師再生」レギュラー(NTV)
’08年 「霧の火-樺太・真岡郵便局に散った9人の乙女達」開局55年記念特別ドラマ(NTV)
’09年 「上地雄輔 ひまわり物語」(CX)
’11年 「世にも奇妙な物語 2011年秋の特別編~いじめられっこ~」(CX)
’11年 「BOSS2」第1話(CX)
’11年 「大切なことは全て君が教えてくれた」レギュラー(CX)
’12年 「スープカレー」(TBS)
’12年 「嘘の証明」(TX)
’13年 「みんな!エスパーだよ!」(TX)
’14年 「お父さんは高校生」(NHK)
’14年 「GTO」(CX)
’15年 「REPLAY&DESTROY」(MBS)
’15年 「TRANSIT GIRLS」主演(CX)
’16年 「怪盗 山猫」(NTV)
’16年 「その『おこだわり』、私にもくれよ!!」(TX)
’16年 「となりのシムラ」(NHK)
’16年 「THE LAST COP/ラストコップ」(NTV)
’17年 「楽園」(WOWOW)
’17年 「もしもドラマ がんこちゃんは大学生」(NHK)
’17年 「北斗-ある殺人者の回心-」(WOWOW)
’17年連続テレビ小説「ひよっこ」(NHK)
’17年 「世にも奇妙な物語 ’17秋の特別編」(CX)
’17年 「片想いの敵」(CX)
’18年 「スペシャルコント『志村けんin探偵佐平60歳』」(NHK)
’18年 「隣の家族は青く見える」(CX)
’18年 「いつまでも白い羽根」(東海テレビ・CX系)
’18年 「この世界の片隅に」(TBS)
’18年 「恋のツキ」(TX)
’18年 「獣になれない私たち」(NTV)
’18年 「マザーズ2018~僕には、3人の母がいる~」(中京テレビ)
’19年ちょいドラ★2019「ダークマターな女」(NHK)
’19年 「ひよっこ2」(NHK)
’19年 「オリガミの魔女と博士の四角い時間~濡羽色(ぬればいろ)の恋」(Eテレ)
’19年  ETV特集「考古学の殉教者ROKUJI」(Eテレ)
’19年 「これは経費で落ちません!」(NHK)
’20年 「ペンション・恋は桃色」(CX)
’20年  TVアニメ「映像研には手を出すな!」(NHK)
’20年 「三浦部長、本日付けで女性になります。」(NHK)
’20年 「有村架純の撮休」第2話『女ともだち』(WOWOW)
’20年  100分de名著 4月の名著「ピノッキオの冒険」(Eテレ、朗読)
’20年 「いいね!光源氏くん」(NHK)
’20年 「カラフルな魔女の物語~角野栄子 85歳の鎌倉暮らし」(Eテレ、語り)
’21年 「大豆田とわ子と三人の元夫」(CX、ナレーション)
’21年 「いいね!光源氏くん し~ずん2」(NHK)
’21年 「言葉にできない、そんな夜。」(Eテレ)
’22年 「ミステリと言う勿れ」(CX)
’22年 「アクターズ・ショート・フィルム2『あんた』」監督 千葉雄大(WOWOW)
’22年 「拾われた男 Lost man Found」(NHK)
’22年 特集ドラマ「ももさんと7人のパパゲーノ」主演(NHK)
’23年 正月時代劇「いちげき」(NHK)
’23年 2夜連続スペシャルドラマ「キッチン革命」主演(EX)
’23年 「シッコウ!!~犬と私と執行官~」主演(EX)
’23年 NHKスペシャル「いのち眠る海~最新調査で明かす太平洋戦争~」(語り)

テレビ、舞台、映画と本当に数多くの作品に出演している人気女優さんです。

スペシャルドラマ「キッチン革命」でも、主演で実在の人物を演じていました。

 

続編も制作されたドラマ「いいね!光源氏くん」の主人公役!

ドラマ「大豆田とわ子と三人の元夫」のナレーションも話題になりました。

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