美空ひばりは【ラッパと娘】を紅白で歌った?笠置シヅ子との共演は実話?

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朝ドラ「ブギウギ」に若手人気歌手の水城アユミが登場スズ子の「ラッパと娘」を紅白だと思われる年末の歌番組で歌いたいと言い、美空ひばりがモデル?と話題です。美空ひばりは【ラッパと娘】を紅白で歌ったのか?笠置シヅ子との共演は実話か史実をご紹介です。

目次

美空ひばりは笠置シヅ子の歌を歌っていた?不仲説など関係は?

美空ひばりがモデル?ブギウギの別れ歌手の水城アユミが話題!

ドラマ「ブギウギ」の最終回間近の25週に登場した、福来スズ子を脅かす、若手人気歌手の水城アユミが、人気歌手の美空ひばりさんがモデルなのか?と話題になっています。

水城アユミ(みずきあゆみ)は、スズ子の憧れの大和礼子と股野の娘。

スズ子は、東京ブギウギのヒットから年数がたっていて、落ち目と言われていました。

一方で若手売れっ子歌手として、話題の水城アユミでしたが、スズ子が出演することになる年末の男女歌合戦でスズ子が大トリ、そしてトリ前が水城アユミであることを知り、動揺するスズ子。

水城アユミ【みずきあゆみ】のモデルは誰?ブギウギで美空ひばりじゃない理由は紅白歌合戦

話題の2人の競演の仕掛人は、この名物ディレクター。勉さんこと「沼袋勉」です。

勉さん【沼袋勉】のモデルは和田勉?紅白歌合戦を担当した?

中村倫也さんのサプライズ登場は話題になりましたが、モデルはNHKの職員だったタレントの和田勉さん?と言われています。

売れっ子の勢いのあるアユミの後に自分がトリであることに自信が持てなくなっていました。

その上、スズ子に「ラッパと娘」を歌わせてほしい!と懇願する水城アユミ。スズ子のファンであるというアユミは、歌手になるきかっけとなった「ラッパの娘」をどうしても歌わせて欲しいと言います。

しかし勢いのあるアユミが自分の歌を歌うことで比較されてしまうと思ったスズ子は、羽鳥善一がその申し出を断ると知っていて、羽鳥に判断をゆだねます。

羽鳥は案の定、スズ子のために作った曲であると怒りだします。

しかし茨田のり子に「逃げるな」とハッパをかけられて、歌番組でアユミが「ラッパと娘」を歌って、スズ子が「ヘイヘイブギー」を歌う新旧「ブギ」競演をする決意をします!

昭和31年、大晦日。第7回オールスター男女歌合戦当日。スズ子(趣里)は、楽しみに会場へと向かう。スズ子が楽屋で支度をしていると、股野(森永悠希)と水城アユミ(吉柳咲良)が訪ねてくる…。そして、いよいよ本番。羽鳥善一(草彅剛)はテレビの前で、愛子(このか)は客席で見守る。茨田りつ子(菊地凛子)も楽屋に応援に来た。水城アユミは「ラッパと娘」、福来スズ子は「ヘイヘイブギー」。新旧二人の歌合戦が始まる。

引用元:https://tv.yahoo.co.jp/program/124102067

そんな水城アユミのモデルが、昭和の歌姫、美空ひばりなのでは?と話題になっています。

美空ひばりは笠置シヅ子の歌を歌っていた?

水城アユミは本当に美空ひばりさんがモデルなのでしょうか?

美空ひばりさんと言えば、戦後子ども時代からその歌唱力で人気となり、生涯活躍した国民的歌手です。

水城アユミは笠置シヅ子さんがモデルの福来スズ子の歌を歌番組で歌いますが、史実ではどうだったのでしょうか?

美空ひばりと笠置シヅ子さんの関係についての史実をご紹介です。

日本を代表する国民的歌手の美空ひばりさんですが、当初は笠置シヅ子さんのモノマネ歌手として世に現れたんです。

まだ幼い子供のころ、シヅ子さんの持ち歌を器用に歌ったことで「ベビー笠置」「豆笠置」というあだ名もついていました。

確かに水城アユミは、年末の歌番組でスズ子の歌を歌いますが、幼いころにモノマネのように歌っていた美空ひばりさんとは違う気がしますが、どうなのでしょうか?

では、ドラマに登場する年末の歌番組「オールスター男女歌合戦」のモチーフ・モデルだと思われる、NHKの紅白歌合戦では、2人はドラマのように競演したのでしょうか?

オールスター男女歌合戦は紅白歌合戦がモデル!笠置シヅ子と美空ひばりは出演した?

美空ひばりは【ラッパと娘】を紅白で歌った?笠置シヅ子との共演は実話?

美空ひばりと笠置シヅ子は紅白歌合戦で共演している?

そもそも2人はNHKの紅白歌合戦に出演しているのでしょうか?また2人は共演しているのでしょうか?

2人とも当時の大人気歌手だったので、当然、紅白には出場しています。

以下、それぞれの紅白の出場一覧です。(美空ひばりさんは一部です。)

【笠置シヅ子】

回数 楽曲
1952年(昭和27年) 第2回   買物ブギー
1953年(昭和28年)※1月開催 第3回 ホームラン・ブギ
1953年(昭和28年)※12月開始 第4回 東京ブギウギ
1956年(昭和31年) 第7回 ヘイ・ヘイ・ブギ  ※大トリ

【美空ひばり】

1954年(昭和29年) 第5回 ひばりのマドロスさん
1957年(昭和32年) 第8回 長崎の蝶々さん
1958年(昭和33年) 第9回 白いランチで十四ノット
1959年(昭和34年) 第10回 ご存知弁天小僧

上記を見てもらえば、わかると思いますが、2人は同じ年に紅白歌合戦に出場していません。

他の歌番組に出演していたなどの都合で、出演していないこともあり、ちょうと一緒に出演していないんです。

「ブギウギ」では昭和31年の歌番組でヘイ・ヘイ・ブギを大トリで披露しているので、笠置シヅ子さんの実話だと思いますが、美空ひばりさんは31年には出場していません。

美空ひばりは【ラッパと娘】を紅白で歌った?

ドラマでは水城アユミが「ラッパと娘」を年末の歌番組で歌うことになっているのですが、史実の美空ひばりさんはどうだったのでしょうか?

「ラッパと娘」は1939年に日本コロムビアから発売された、笠置シヅ子さんの正式なデビュー曲です。

ブギウギでも「ラッパと娘」のエピソードが描かれていましたね。

先ほどの紅白出場のデータでもご紹介しましたが、美空ひばりさんは、紅白歌合戦では、出場したすべての回で、ご自分の曲を歌っています。

なので紅白歌合戦で、美空ひばりさんが笠置シヅ子さんの楽曲を歌ったこともありません。

また美空ひばりさん以外の歌手の方が、笠置シヅ子さんの「ラッパと娘」やその他の楽曲を歌う競演などはありませんでした。

若手人気歌手との新旧「ブギ」対決は、ドラマオリジナルの設定だと思います。

美空ひばりが歌ったのは【ラッパと娘】でなく「ヘイヘイブギー」?

美空ひばりが歌ったのは【ラッパと娘】でなく「ヘイヘイブギー」?

しかし紅白歌合戦ではないのですが、美空ひばりさんが、笠置シヅ子さんの楽曲を歌うことであるトラブルが発生しています。

それは「ラッパと娘」ではなく「ヘイヘイブギー」です。

当時まだご自分の持ち歌がなかった美空ひばりさんが、シヅ子さんの楽曲を歌わせてほしいと依頼。しかし服部良一さんとシヅ子さん側が断ったと言います。

その理由は、ひばりさんが歌わせて欲しいと申し出た「ヘイヘイブギー」は、これから世に流行らせようとしている新曲でした。

新曲を別の歌手に歌わせたくないと言うのは、当然ですよね(^^;

しかしこのエピソードが、シヅ子さんが美空ひばりさんに「ブギを歌うな」と禁止したと伝わってしまいました。

実際には、シヅ子さんが「東京ブギウギ」を歌うことを許可したそうです。

不仲説と和解まで

そんな笠置シヅ子さんと美空ひばりさんの不仲説が大きく報道されたのが、笠置シヅ子さんのハワイ興行です。

昭和25年(1950年)にシヅ子さんと服部良一さんがハワイをはじめとする、興行旅行に行くことになりました。

そして美空ひばりさんたちも、笠置シヅ子さんの1か月前に渡米することに。

当時、芸能人がアメリカに行く日米交流がさかんだったそうです。

シヅ子さんと服部良一さんが、公演する前に、美空ひばりさんが同じ歌を歌ってしまったら、シヅ子さんのインパクトが弱くなってしまうので、服部良一さんは公演旅行を取り仕切っている興行師から何とかしてほしいと頼まれたそうです。

服部さんは仕方なく、音楽著作権会を通じ、今回の渡米中に限って楽曲の使用は認めない旨を通達しました。

この通達を聞いたのは、渡米の直前だったそうで、非常に困ってしまったと言うひばりさん。

しかしひばりさんたちは、著作権協会の許可を得ないまま渡米してしまい、現地の人の後押しもあり、笠置シヅ子さんの歌を歌ってしまったそうです。

美空ひばりさんは当時まだ13歳だったので、ひばりさんの意志というか、周囲の大人たちの判断だったのでは?と思われます。

この件で、2人にはわだかまりができてしまいました。

この2人の一件はマスコミにも取りざたされて話題になりました。

イメージも悪くなってしまったことから、最終的にひばりさんのマネージャーが服部さんに謝罪。

そして一般のファンに向けて、2人の間に確執がないことをアピールするために、その後、経緯は不明なのですがシヅ子さんとひばりさんがラジオ番組で共演して2人は番組の中で和やかに談笑し和解をしたとされたのでした。

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