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フジテレビのドラマ「大奥」で亀梨和也さん演じる10代将軍の徳川家治と正室の五十宮倫子【いそのみやともこ】2人の最後、どのような死因なのか?気になる人も多いと思います。徳川家治と倫子の死因と最後について史実をご紹介!衝撃の田沼意次毒殺説とは?
徳川家治の死因とは?史実では諸説ある?
徳川家治とは?
2024年に放送のフジテレビのドラマ「大奥」では10代将軍・徳川家治の時代が描かれています。
演じているのは、亀梨和也さん。
第十代将軍
徳川家治
亀梨和也第十代将軍の徳川家治。閑院宮直仁親王の第六王女である公家の娘・倫子(小芝風花)との婚礼の儀を控えている。父であり、第九代将軍・徳川家重が謎の死を遂げたことで、家治が第十代将軍の座につく。幼い頃から聡明で期待されて育ち、祖父の第八代将軍・徳川吉宗から目をかけられ、直接帝王学を学ぶエリート教育を受けた。家治は苦境に陥る幕府を立て直したいと考え、行動に移すが、田沼意次にある秘密を握られ…。愛におびえ、愛を知らずに数奇な運命に翻弄される。
引用元:https://www.fujitv.co.jp/ohoku2024/chart/
口数はあまり多くなく、冷たい印象を思わせますが、心根は優しい家治。徐々に、倫子とも心を通わせていくことになります。
主人公の倫子をとは心が通い合ったものの、弱みを握られた田沼意次から、無理やり側室を持つように言われてしまいます。
【大奥】倫子の子供はいた?家治との娘は衝撃の毒殺のネタバレ?
それは田沼が家治のある秘密を握っていたからで、家治は9代将軍・家重の実の息子ではなく、母親が別の男と密通してできた子供だったんです。
【コラム】安田顕の俳優としての底知れなさ 『大奥』田沼意次の邪悪さに背筋がゾクッとする!https://t.co/imC6CH9yJ7#大奥 #安田顕
https://t.co/imC6CH9yJ7— リアルサウンド映画部 (@realsound_m) February 14, 2024
田沼・・・ドラマでは非常に怖いですが(^^;
このような、おそらくオリジナルだと思われるエピソードが満載の大奥の家治。
物語は、ベースは史実通りでオリジナルを盛り込んでいると思います。
そうなると気になるのが、史実では徳川家治はなぜ死んだのか?死因や最後だと思います。以降で史実をご紹介です。
徳川家治の死因とは?史実は脚気だけど諸説ある?
徳川家治は1737年、9代将軍・家重と側室のお幸の方(公家の梅渓通条の娘)長男として生まれました。
父・家重が病弱で障害があり言語が不明瞭あったことから、家治は幼少より祖父・吉宗の期待を受けて育ちました。
健康状態については、16歳の時に痘瘡(天然痘)をわずらった以外、大病をしたと言う記録はなく、比較的健康であったとのことです。
そして家重が亡くなった1960年5月に10代将軍に就任!
老中の田沼意次らに政治を一任していたと言われています。
約16年近く将軍として在位し、1786年に脚気による急性心不全で亡くなりました。享年50歳でした。
1737年 誕生
1960年 24歳で10代将軍に就任
1786年 死因・脚気による急性心不全により50歳で死去
24歳で将軍に就任してから、50歳で死去するまでの約26年間、死の直前以外、朝会と呼ばれる朝に幕府の重臣や大名たちが将軍に謁見する儀式を休んだことがないと言われるほど、健康だったそうです。
死因の脚気ですが、江戸時代の上流階級は精米して胚芽部分に含まれるB1類を取り除いた白米ばかりを食べていたため、脚気にかかるものが多く、当時はその原因はわからなかったそうです
ただ死因や死の状況については、諸説あり、謎として残っています。
家治の遺体は将軍家の菩提寺の江戸の上野の寛永寺(天台宗)に葬られたそうです。
家治の田沼毒殺と松平定信陰謀説など3つの死の謎とは?
徳川家治の死には謎が謎があると言われています。
死亡日
家治の死去の日がはっきりとわかっていないと言われています。
8月20日説、8月25日説、9月7日説、9月8日説・・・など様々あるそうです。
そして死んだ日に伴って、様々な死因が語られています。
どの説も十分な根拠があるわけではなく、はっきりとしないようでした。
ただ公式に死んだと発表した日「9月8日」よりも前に亡くなっていたのでは?と言われています。
田沼意次毒殺説
そして当時、家治の死に関して、毒殺説がかなり大きく広まったそうです。
毒殺したと言われている人物は田沼意次です。
当初の医師は河野仙寿院というところでしたが、家治の病状がなかなか回復しないので、奥医師にかわったそうです。しかし翌日に田沼意次が町医者の若林敬順と日向陶庵を推薦。この2人が家治の治療にあたることになり、2人は奥医師となりました。
ところが若林の調薬を服用した家治は急に病状が悪化。二タイ、以前の奥医師が薬を調合することになりました。
しかしこれ以降、病状が回復せずいに死を迎えてしまったのでした。
とある史料には家治の死の際、体がしきりにふるえだして、吐血して異常な死に方だったと記載されていたそうです。
このように田沼がすすめた医師が毒を盛った毒殺説が広まり、批判された田沼。その後、田沼意次は失脚しました。
反・田沼派の松平定信
しかし一方で、田沼意次が家治を殺す理由が見当たらないとも言われています。そして家治の田沼による毒殺説は反田沼派が煽り、田沼を陥れるために噂を広めたのでは?とも言われています。
反田沼派とは、田沼意次の後に、老中就任した松平定信の派閥です。
白河藩藩主
松平定信
宮舘涼太徳川宗武の息子で白河藩藩主の松平定信。定信も徳川将軍家の血を引く家治のいとこで、五十宮倫子と家治の婚儀にも顔を見せる。定信は幼い頃に養子に出された過去があり、今も胸の内にある思いを秘めており、家治とはライバル関係にある。そして、家治の正室となる倫子に対してもある思いを抱えていて…。
引用元:https://www.fujitv.co.jp/ohoku2024/chart/
ドラマ「大奥」でも恐ろしい本性が明らかになった松平定信でしたが、倫子に妊娠しないようなお香をたいたり、お香をたかせたお梅を口封じのために、殺害するなどのサイコパスなネタバレは、ドラマオリジナルだと思います(^^;
そして反田沼が田沼意次を追い落とすために、悪い噂を流したのでは?とも言われています。
田沼意次は家治の死後に表面上、政界から身を引いた形をとっていましたが、その後も幕閣の中枢は田沼の息のかかった者で占められていました。
そして田沼派と反田沼派との激しい政争が約10カ月ほど続いたそうですが、松平定信が老中に就任することによって、政争は終了しました。
ドラマ「大奥」では、松平定信が家治を毒殺したものの、田沼が毒殺したという噂を流して田沼を失脚させる・・・なんてオリジナルの展開になるかもしれません。
倫子の死因とは?史実では若くして亡くなる!?
倫子とは?
一方、家治のもとに嫁いだ五十宮倫子【いそのみやともこ】についてご紹介です。
将軍正室・御台所
倫子
小芝風花東山天皇の皇子・閑院宮直仁親王の娘で皇室の血を引く公家の娘。京で素直に育ち、人を疑うことのない、純真で優しい性格の持ち主。その一方で芯は強く、利発。しかし、朝廷と幕府の橋渡しとして、次期将軍である徳川家治と政略結婚をさせられたことで逃れられない運命に翻弄され、さまざまな試練が立ちふさがる。先代の第九代将軍・徳川家重が謎の死を遂げ、家治が第十代将軍となり将軍正室として男子禁制の大奥へ渡ることになるが、倫子は京にいた頃からの幼なじみ、久我信通(こが・のぶみち)に好意を寄せていて…。
引用元:https://www.fujitv.co.jp/ohoku2024/chart/
幼馴染の思いを寄せる・久我信道がいましたが、徳川家治との政略結婚で大奥にやってきます。公家の出身であり、大奥では邪魔者扱いされて、ヒドイいじめを受ける倫子。
また、たよりにしていた、信道が実の姉と結婚したと知らされてショックを受ける倫子。
当初は家治との関係は冷えていたものの、お互いに距離を縮めていき、倫子は家治が本当はやさしい男性であることがわかり、魅かれていき、2人は夫婦として結ばれます。
しかし、大奥総取締役の松島の局や田沼意次によって、無理やり側室・お知保との子供を作るように強制されてしまい・・・ついにお知保が妊娠。
ショックを受ける倫子でしたが、子供はできなくても家治と夫婦としての愛を育んでいく決意をします。
そんな中、今後の倫子と家治の関係がどうなるのか?のヒントとなる、倫子の史実をご最後の死までご紹介です。
倫子の死因とは?史実では若くして亡くなる!?
五十宮倫子は1738年、皇族・閑院宮直仁親王の娘として京都で生まれ、わずか10歳にして徳川家治との婚姻が決まります。
そして1754年に江戸城大奥入りして、将軍の正室、御台所となりました。
家治との夫婦生活を十数年続けた1771年。
子供を2人設けたものの、短命で、2人とも幼いころに亡くなってしまいます。
【大奥】倫子の子供はいた?家治との娘は衝撃の毒殺のネタバレ?
倫子は34歳という若さで亡くなっています。
病で死んでしまったと言うことだけで詳しい死因・病名はわかっていません。
1738年 誕生
1754年 16歳で家治の正室になる
1771年 病気により34歳で死去
このように、なんと倫子は、家治よりもはるかに早く、若くして亡くなります。死因については、わかっていないので、オリジナルの展開になるかもしれませんが、死亡してしまう時期は、ドラマでも史実通りに描かれるのでは?と思います。
ただ倫子は主人公ですので、倫子の死までは、ドラマでは詳しく描かれない可能性もあるかもしれません。
徳川家治と倫子の関係は大奥と同じで仲が良い愛妻家だった?
ドラマと同じで仲が良い愛妻家だった!
ドラマ「大奥」ではお互いを想いあい、愛し合っている家治と倫子の夫婦ですが、史実ではどうだったのでしょうか?
一般的に将軍と正室との間の夫婦関係はあまりよくないことが多かったそうです。しかし、家治は愛妻家だったため、例外的に2人の関係は良かったそうです。
家治があまりに頻繁に倫子のもとに通うので、倫子に付きの御年寄(おとしより)達が反発したこともあったそうです。
2人の関係が良好なのは、史実通りなんですね。
2人の間には長女の千代姫が生まれましたが、なんと2歳で死去。次女の万寿姫が生まれますが、13歳で死去と2人の女の子が生まれたものの、早くに亡くなってしまっています。当時、御台所が子供を産むこと自体異例だったとのことですが、男子はついに生まれなかったそうです。
【大奥】倫子の子供はいた?家治との娘は衝撃の毒殺のネタバレ?
後継ぎが生まれずに2人の側室を持つ!
そのため、2人の側室を迎えることに。
その側室が、お千保の方と、お品の方。
そう、なんと倫子と一緒に大奥にやってきたお品のモデルが、家治の側室のお品の方だと思われ、ドラマでも同じようにお品が家治の側室になる展開のようです。
ドラマでは、密会していた葉山貞之助(小関裕太)を助けるために、側室になる決意をすると思われるお品ですが、おそらくオリジナルの展開だと思います。
史実では、お千穂の方には、長男の家基が誕生し跡取りとして期待されていましたが、18歳で死去。
お品の方は次男の貞次郎を出産したものの、幼少期に死去しました。
こうして、跡取りがいなかったことから、最終的には御三卿の一橋家から、家斉が迎えられ11代将軍には徳川家斉が就任することになります。
以下の記事もあわせてご覧ください。
【大奥】倫子の子供はいた?家治との娘は衝撃の毒殺のネタバレ?
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