笠置シヅ子歌手引退理由・辞めたのはなぜ?引退後は女優業に専念

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NHK朝ドラ「ブギウギ」最終週で福来スズ子が歌手を引退しますが、モデルの笠置シズ子さんが歌手を引退した理由辞めたのはなぜでしょうか?笠置シヅ子さんの歌手引退理由や引退後の活動について、辞めたのはいつで何歳だったのか史実ご紹介です。

目次

笠置シヅ子は紅白で若手歌手と競演後に歌手引退を決意?ブギウギのネタバレが話題!

ブギウギでスズ子が若手人気歌手と年末の歌番組で競演!

1956年、スズ子の仕事は減っていて、東京ブギウギの時のような勢いはなくなっていました。

そんな中、年末の歌番組「オールスター男女歌合戦」のトリに指名されたスズ子。

しかし若手人気歌手の水城アユミがトリ前であることを知らされて、若い勢いのあるアユミと比較されるのでは?と動揺。

そんなアユミは・・・なんとスズ子の憧れの人・大和礼子の娘だったことが判明。

しかもアユミは、スズ子にスズ子の曲「ラッパと娘」を「オールスター男女歌合戦」で歌わせてほしいと言われ、更に苦悩します。

しかし茨田のり子に背中を押されて、思い切って、アユミと「ブギ」対決をする決意をします。

そして迎えた年末の歌番組で、アユミは「ラッパと娘」で素晴らしいパフォーマンスをしたものの、ステージ上を動き回り、表情豊かに「ヘイヘイブギー」を熱唱し、観客の心をつかみ、アユミに圧勝するのでした。

アユミは負けを認めて、スズ子の歌に感激する展開です。

笠置シヅ子は紅白で若手歌手と競演後に歌手引退を決意?

アユミとの競演後、雑誌には「ブギの女王復活」との見出しで報道されます。

しかし・・・なんとスズ子はなんと歌手を引退を決意することになります。

オールスター男女歌合戦を全力で歌いきったスズ子(趣里)の評判は最高のものとなった。水城アユミ(吉柳咲良)はスズ子の楽屋を訪れ、スズ子の歌に感激し、自身ももっと勉強しなければと思ったと伝える。年が明け、雑誌の紙面には「ブギの女王復活」の見出しが踊る。しかし、スズ子自身は、ある大きな決断をしようとしていた。スズ子は、その決断を胸に抱き、羽鳥善一(草彅剛)のもとを訪ねる。

引用元:https://tv.yahoo.co.jp/program/124277638

歌手引退――。スズ子(趣里)はその決断を、愛子(このか)や大野(木野花)に伝えた。羽鳥善一(草彅剛)に絶縁すると言われ、タケシ(三浦りょう太)が大反対し家から飛び出していっても、スズ子の決心は揺らぐことはなかった。スズ子は、同志でありライバルである茨田りつ子(菊地凛子)にもその思いを伝える…。一方で、羽鳥はスズ子の引退を思いとどまらせることができないかとりつ子に相談をする。

引用元:https://tv.yahoo.co.jp/program/124324725

歌手・福来スズ子(趣里)の引退会見の当日。スズ子は結局、羽鳥善一(草彅剛)とは話ができないまま会見に臨むことになってしまった。スター歌手の突然の引退宣言は世間の注目を集め、会見場には多くの記者が集まっていた。その中には、これまでスズ子たちのゴシップ記事をたくさん書いてきた記者・鮫島(みのすけ)の姿もある。スズ子は意を決して歌手引退についての思いを話し始める。

引用元:https://tv.yahoo.co.jp/program/124350354

そして羽鳥善一の反対にあいながらも、引退宣言・記者会見を開きます。

実は、モデルの笠置シヅ子さんも、スズ子のように、歌手の引退宣言をしているんです。

笠置シヅ子さんもスズ子と同じように、若手歌手との年末の歌番組での競演がきっかけ、理由なのでしょうか?

ドラマの歌番組は「紅白歌合戦」では?と言われていますが笠置シヅ子さんが引退した理由は紅白歌合戦への出演なのでしょうか?

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一体なぜ歌手の引退を決意したのか、歌手を辞めたのはなぜなのか?史実・実話を以降でご紹介します。

笠置シヅ子歌手引退理由・辞めたのはなぜ?

引退はいつ?何歳で辞めたの?

まず、笠置シヅ子さんが歌手を引退したのはいつ?なのでしょうか?そして年齢は、何歳で辞めたのでしょうか?

ドラマでは年末の歌番組にスズ子が出演したのは、1956年。その直後に引退宣言をしています。

モデルの笠置シヅ子さんも1957年(昭和32年)に入った早々に引退宣言しています。

しかしドラマとは違って紅白での若手女優との共演が理由ではないと思われます。

オールスター男女歌合戦は紅白歌合戦がモデル!笠置シヅ子と美空ひばりは出演した?

引退した理由について、以降でご紹介します。

理由①人気の陰り

シヅ子さんは、引退の理由をはっきりと語っていました。

それは「自分がもっとも輝いた時代をそのままに残したい。それを自分の手で汚すことはできない」というものでした。

人気が徐々に落ちてきていることを知っていた笠置シヅ子さんは、引退について悩んでいてその前年、活動が極端に少なったそうです。

輝いたまま、活動を終えたかったとと思われます。

理由②太ってきて踊れなくなった

またシヅ子さんは「太ってきて踊れなくなった」ともその理由についてお話されています。

引退宣言をした時の年齢は当時43歳でした。歌手としてはまだまだの年齢かもしれませんが、笠置シヅ子さんの魅力は舞台上での激しいパフォーマンス。

全盛期のような激しい踊りは難しくなってしまったようです。

理由③ラジオ各局からのドラマ出演のオファー

またシヅ子さんは別の後年のインタビューで引退のきっかけについて「ラジオ各局からドラマ出演の交渉を受けるようになったこと」と語っています。

自分は「一本気」な人間なので「なんでも屋」になりきれるわけがないと語っていました。

この真面目な一本気な性格も引退を決意された要因なのかもしれません。

女優業と歌手活動の平行は考えられなかったようです。そして上記に紹介した理由も重なり、女優業をメインに活動することを決めたのでした。

笠置シヅ子の引退後は女優業に専念!晩年についても

引退後は新人女優として!

以降では、歌手活動を引退した後の笠置シヅ子さんについてご紹介です。

笠置シヅ子さんは引退後、芸名をそれはでは「笠置シズ子」でしたが」「笠置シヅ子(ズを改め)」に変更します。

そして映画会社やテレビ局を訪れて「これまでのような高いギャラでなく、新人女優のようなギャラで使ってください!」と挨拶して回ったそうです。

「東京ブギウギ」を大ヒットされて多くの映画にも出演してきた人気歌手・女優がなんて謙虚なのでしょうか((+_+))

人気歌手の肩書は使わないという宣言をされたんです。

そして新たな芸名「笠置シヅ子」で「お母さん女優」として芸能界で新たな看板を手に入れるのでした。

歌謡界に未練なし!タレントとしての活動も

引退宣言をした後、歌謡界には未練を見せなかったシヅ子さん。カムバックしてほしいと頼まれたこともありましたが「私なんかのこのこ出て行ったら今の歌手はダメということになるじゃないの」と答えていたそうです。

そして女優として「お母さん役」「気のいいおばさん役」という方向性がはまっていき、女優としてもイメージが定着するのでした。

また審査員・コメンテーターとしても活躍し、昭和41年(1966年)から昭和56年(1980年)まで放送された「家族そろって歌番組」という番組では落選した家族を励ます言葉が温かいと好評を得たそうです。

晩年

昭和35年(1960年)には、東京ブギウギの産みの親、服部良一さんが銀婚式記念のコンサートを行い、そこに特別出演して歌を披露しました。

これが、人前で歌った最後の記録とのことです。

昭和56年(1981年)にはシヅ子さんが長年その舞台にあがり続けていた「日劇(日本劇場)」が閉鎖されることになり、その閉館記念公演にかつて李香蘭と呼ばれた山口淑子さん、俳優の長年の付き合いがあった長谷川一夫さんとともに、出演しました。

昭和47年には乳がんが見つかりますが、手術で切除して回復しています。

しかし昭和58年に卵巣がんを治療。昭和59年には70歳を祝うパーティに出席したものの、その直後に再入院されています。

シヅ子さんは娘のエイ子さん以外に入院を知らせず、そして昭和60年(1985年)に娘のエイ子さんに看取られて息を引き取ったのでした。

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