船頭可愛やの三浦環と山田耕筰のエピソードは実話なの?

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三浦環(みうらたまき)さんは、日本人として初めての国際的なオペラ歌手です♪

朝ドラ「エール(えーる)」で柴咲コウ(しばざきこう)さんが演じている、双浦環(ふたうらたまき)のモデルとされる人物。

「エール」では窪田正孝(くぼたまさたか)さん演じる古山裕一(こやまゆういち)が、これから「船頭可愛や(せんどうかわいや)」という曲を作り、大ヒットとなります。

ですが志村けん(しむらけん)さん演じる山田耕筰(やまだこうさく)さんをモデルとした小山田耕三(おやまだこうぞう)がなにやら企んでいるようで、今後小山田耕三と双浦環がいろいろ関わってきます。

史実でも、三浦環と山田耕筰には、朝ドラ「エール」のような関係、出来事、エピソードがあったのでしょうか?

今回は朝ドラエールに登場する双浦環のモデル三浦環と、小山田耕三のモデルの山田耕筰の関係や実話とドラマのネタバレをまとめました。

さて裕一のモデル、古関裕而さんと三浦環さんは接点があったのでしょうか?

船頭可愛やは三浦環と山田耕筰と深く関係?エピソードが実話か気になる?

エール船頭可愛いやは古関裕而が作曲で実話とは違う?

朝ドラ「エール」でこれから古山裕一(窪田正孝)」が作曲をする「船頭可愛や」という曲が大ヒットします(≧∇≦)

これは実話で裕一のモデル、古関裕而(こせきゆうじ)さんが作曲をされた曲です。

「船頭可愛いや」は1935年7月にリリースされました。

作曲は裕一のモデルである古関裕而さん。そして作曲は高橋掬太郎さんです。「エール」の高梨一太郎(ノゾエ 征爾)のモデル。

「エール」で木枯正人(野田洋次郎)から裕一に紹介していましたね。正人のヒット曲、「酒は涙か溜息か」を作曲した人物ですが、これも実話です。

そして正人はレコード会社を移籍しますが、これも実話で正人のモデル、古賀政男さんはこのころにコロムビアからテイチクへと移籍しています。

そして「船頭可愛や」を歌ったのが、音丸さんという女性歌手。この曲のヒットで、人気歌手の仲間入りをしました。

「船頭可愛や」はゆったりとして曲調で、のどかな古き良き歌です。

音丸さんは正人のモデル、古賀政男さんが見出した歌手♪

「船頭可愛や」は古関裕而さん初のレコード化となった「福島行進曲」を聞いた高橋掬太郎さんが、古関裕而さんに作曲を依頼しました。

実話でも「福島行進曲」は売れなかったんですけど(^_^;)、高橋掬太郎さんがそれを気に入り、作曲のオファーをしたそうです。

こうして「船頭可愛や」が大ヒットとなり、古関裕而さんは大作曲家へとなっていきました。

ということで「エール」で描かれている「船頭可愛や」は実話で、これから大ヒットします(≧∇≦)

これからこの「船頭可愛や」に双浦環と小山田耕三が深くかかわってくるのですが、史実でも、三浦環さんと山田耕筰さんのかかわりがあるのでしょうか?

 

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三浦環と山田耕筰それに古関裕而の関係は?「船頭可愛や」のエピソード?

双浦環のモデルはオペラ歌手の三浦環?エールの柴咲コウは実在?

三浦環さんは1884年生まれ。「船頭可愛や」に関連する人物の生まれた年を比べてみましょう。

1884年 三浦環
1886年 山田耕筰
1901年 高橋掬太郎
1904年 古賀政男
1906年 音丸
1909年 古関裕而

三浦環さんと山田耕筰さんがちょっと年上になりますね。

三浦環さんは海外でも有名な国際的なオペラ歌手。そして山田耕筰さんは「からたちの花」「赤とんぼ」など数々の童謡などを作曲した、国民的な作曲家です。

おふたりの年齢は2歳しか違いませんが、実は三浦環さんは山田耕筰さんに歌を教えていたのです。

山田耕筰さんは東京音楽学校に入り、作曲コースがなかったので、声楽科に入学。そこで新しく講師としてやってきた、三浦環さんから声楽を習いました。

当時から群を抜く美女といわれた三浦環さん。男子学生の憧れの存在でしたが、やんちゃな山田耕筰さんから悪ふざけで泣かされたこともあったとか(^_^;)

「エール」では山田耕筰をモデルにした小山田耕三を志村けんさんが演じているので、環役の柴咲コウさんとは親子くらい違いますね(^_^;)

この辺りは史実とは違った風に描かれています。

もしかしたら柴咲コウさん演じる双浦環は50歳くらい?という設定かもしれませんが・・・(笑)

そして三浦環さんと古関裕而さんは23歳離れています。

三浦環さんが山田耕筰さんに、声楽を教えていたころ古関裕而さんは生まれています。

三浦環さんは古関裕而さんが生まれる前の、1907年に助教授となり、その後歌手への夢を捨てきれずイギリスへ。

「船頭可愛や」がヒットした1935年には世界中で活躍していました。

三浦環さんが帰国したのが1936年。「船頭可愛や」がまだヒットしていたころで、コロムビア所属の三浦環さんのレセプションが盛大に開かれました。

そのときにちょうどビクターから移籍してきた、作詞家で詩人の西條八十さんが三浦環さんとお話をしていたのを古関裕而さんが目撃。

その後のスピーチで三浦環さんが「西條八十さんのことを西條ハナという女性の詩人だと思っていた」と発言(^_^;)

場内は爆笑に包まれたそうです。三浦環さんはそんなチャーミングな女性でした(^^)

「船頭可愛や」を聞いた三浦環さんは、この曲をとても気に入り、自分もレコードにしたいと申し出ます。

これには古関裕而さんもびっくり!世界的なオペラ歌手が、自分が作曲した歌をレコードにしたい♪なんて、誰だってびっくりしますよね~。

当然古関裕而さんは大喜びで、レコーディングに立ち会い、その美声と技巧に感服したそうです。

このころコロムビアではレーベル面の色で赤盤と青盤に分けていました。

青盤(青レーベル)は海外の有名なアーティストのレーベル。一般的な歌謡曲は赤盤(赤レーベル)。

音丸さんが歌った「船頭可愛や」は赤盤でしたが、三浦環さんが歌った「船頭可愛や」は青盤でリリースされています。

ちなみに古関裕而さんの青盤は三浦環さんの「船頭可愛や」と、のちに環さんに書いた「月のバルカローラ」2枚だけだそうです。

その2枚の青盤は、最高の名誉であった、と古関裕而さんは語っています。

そしてこの赤と青のレーベルを巡り、「エール」ではある問題が発生します。

 

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エールで船頭可愛やをめぐる双浦環と小山田耕三のエピソードは?

山田耕筰と古関祐而の関係とは?朝ドラエールは実話?

ここからネタバレです!

古山裕一(窪田正孝)が作曲し、裕一の幼馴染の村野鉄男(中村蒼)が作詞をしてレコード化された「福島行進曲」。

良い曲なのに全く売れませんでした・・・(^_^;)

同じコロンブスレコードに所属する、裕一の友人で作曲家の木枯正人(野田洋次郎)は、高梨一太郎(ノゾエ征爾)の作詞した「酒は涙か溜息か」が大ヒットとなっています。

その一太郎を正人が裕一に紹介。一太郎が書いた「船頭可愛いや」という詩に曲をつけてほしいと、依頼されたのです。

一太郎は「福島行進曲」が気に入っていて、裕一に依頼したのでした。

そして「船頭可愛いや」はレコード化されますが、またしても全く売れず・・・(笑)

実話ではすぐに売れているので、ここは脚色されています。

とうとう裕一は契約解除の危機を迎えてしまいました。

音(二階堂ふみ)は、双浦環(柴咲コウ)に頼んで曲を聴いてもらいます。

環も「船頭可愛いや」が気に入り、多くの人にこの曲を知ってもらうため、自分が歌うと提案。

大人気歌手の双浦環が歌うということで、コロンブスレコードのディレクター廿日市(古田新太)は大喜び。

ところがコロンブス青レーベルの重鎮、小山田耕三(志村けん)から横やりが入ります。

なぜ小山田耕三が双浦環が青レーベルからリリースする「船頭可愛いや」にクレームをつけたのか。。。?

環は見抜いていました!

裕一が青レーベルにおいて、これから小山田耕三の立場を脅かす存在になると、小山田が恐れていることを。

本来西洋音楽で賞を獲った裕一なので、青レーベルの作曲家であるはず。

ですがこれも小山田の指図で、赤レーベルの作曲家として契約することになったのです。

最初から仕組まれていたってことですね。

環はこう宣言します。

小山田耕三に反対されても、わたしは歌います!

(≧∇≦)環、カッコイイ!!

こうして環が歌った「船頭可愛や」は、発売されるとともに大ヒットしました。

これが「船頭可愛や」のネタバレです!

志村けんさんが演じた小山田耕三、あんなに威厳のある人物だったのに、意外と気が小さな人でしたね(^_^;)

実話では山田耕筰さんが三浦環さんに歌わせない、なんて言ったことはないと思います。

古関裕而さんにとって山田耕筰さんは憧れの人で、コロムビアとの契約も山田耕筰さんの勧めによるものでした。

その前からお二人は手紙のやりとりもしているので、このヒットはむしろ山田耕筰さんも喜んだのではないでしょうか。

「エール」では「船頭可愛や」を最初に歌ったのが藤丸という歌手。井上希美さんが演じます。

井上希美さんも劇団四季でヒロインを演じた、ミュージカル女優♪

どんな歌声を聴かせてくれるのか、楽しみですね(≧∇≦)

 

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三浦環と山田耕筰の船頭可愛やの実話とエールのネタバレのまとめ

藤丸のモデルは歌手の音丸?井上希美が歌う曲は?

「エール」でこれから「船頭可愛や」という曲を作詞した、高梨一太郎から作曲を裕一は頼まれます。

出来上がった曲を藤丸が歌いますが、まったく売れず。。。

その曲が素晴らしかったことから、双浦環が歌いたいと言いますが、小山田耕三が阻止しようとしました。

その理由が自分の立場を裕一が脅かす、ということを環は見抜き、強引にレコード化。大ヒットとなりました。

これが「エール」のネタバレですが、史実はちょっと違っています。

違う部分は小山田耕三のモデル、山田耕筰さんは古関裕而さんを陥れてはいないという部分。

そして山田耕筰さんは講師だった三浦環さんから、声楽を習っていたというところです。

ドラマと史実の違いにも注目してみてください!

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3 件のコメント

  • エールを毎日見ている「酒は涙か溜息か」作曲の高橋掬太郎さんのご子息と慶応義塾大学で同じクラスの友人です。私は昭和10年にレコード店の生まれ、丁度「船頭可愛や」発売の年に生まれました。高橋公郎君も、同年の生まれです。父君の2作目の大ヒットで、藤山一郎、音丸がそれぞれ歌っていたと記憶していますが、ドラマの偽名に振り回され、理解できないのが感想です。今更どうしようもないですが、多分理解できる方は少ないと思います。

  • まあ実話のままドラマ化したらメインとしては何か急に売れて三浦のおかげで更に売れた、みたいな簡潔なストーリーになっちゃうし毎朝話を展開させる難しいもんね。やっぱ朝ドラと実話は切り離してみた方がいいのかな

  • エールのお陰で、あの曲もそうなんだー。と小関裕而の作曲された曲の多さに驚きました。私自身も学生時代からギターをかじりだし、現在73歳です。三年前、市の100歳大学で知り合った仲間と,オカリナ 2人と大正琴 2人の女性4人 (60代 2人、70歳 2人) と一緒に
    月1回合同で練習会を開いています。私がギターとボーカル担当で毎月3~5曲選びその中から3曲程度演奏できるように頑張っています。
    カレン会という名称を付けました。可憐な花のように又いつまでも枯れないようにとの思いで付けました。結成1年半ほどですが、コロナの影響で、実質1年位しか集まれていません。レパートリーは20曲は超えていますが、発表の場もなくただただ練習しているのみです。
    来月は小関裕而特集をと選曲しだしたのですが、あまりに作品が多く、オカリナと弦楽器の調和できる曲と私たちの年代のギャップもあり、選曲にこんな苦労が伴うとは考えませんでした。でも何とからいげつの練習日までに家で練習する曲の選定と楽譜配布を一日も早くしようと考えている今日この頃です。

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