永田武医師のモデルは長崎の鐘の永井隆!史実は?

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NHK朝ドラ「エール(えーる)」も戦争が終わり、いよいよ戦後です。これからいろいろな新キャストが登場します。

中でも一番注目されているのが、吉岡秀隆(よしおかひでたか)さんが演じる、医師の永田武(ながたたけし)です。

そこで今回は、永田武のモデルについて調べてみました。

吉岡秀隆さんが演じる永田武は長崎の医師ですが、モデルは同じく長崎で医師をされていた永井隆(ながいたけし)さんで「長崎の鐘」の原作者です。吉岡秀隆さんがコメントでバラしています(^_^;)

朝ドラ「エール」の永田武医師のモデルの実在した永井隆さんとはどのような人物なのでしょうか?

古山裕一(窪田正孝)のモデル、古関裕而(こせきゆうじ)さんとはどんなつながりがあったのでしょうか?「長崎の鐘」のエピソードについても。

調べてまとめてみました!

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永田武医師ののモデルは永井隆で長崎の鐘の原作者で実在!史実は?

永田武医師とは?どういう人物?

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永田 武(ながた たけし):吉岡秀隆

長崎の医師。
原爆投下直後の長崎で被爆者の治療を行う。著書「長崎の鐘」がきっかけとなり裕一と出会う。

吉岡秀隆さんのコメント

撮影に参加して、現在の厳しい状況下でもドラマを作ろうと懸命に努力しているスタッフ、キャストの姿にエネルギーを感じ、とても心を打たれました。

 

この現場にいることで僕自身エールをいただいた気がします。

 

僕が演じる永田のモデルである永井隆先生は、あまりにも偉大な方で無心で演じるしかありませんが、こんな偉大な方が長崎にいらっしゃったということをまずは今の長崎の方達にしっかり届けたい、そして、永井先生が遠くから見守ってくださるとうれしいです。

引用元 公式サイト

吉岡秀隆さん、モデルが永井隆医師だとバラしちゃいましたね~(^_^;)

コメントにありましたが、コロナの影響で本当に現場は大変だったのでしょう。志村けんさんの訃報もありました(T_T)

そんな現場に新しく入っていくことも、かなり大変だったのではなかったかと想像します。

さて。これから裕一(窪田正孝)は、作詞家で劇作家の池田(北村有起哉)からラジオドラマの音楽を依頼されます。

裕一は断りますが、苦しんでいる子供たちを励ましてほしい、と主題歌の歌詞を置いて池田は帰って行きました。

その詩を見て裕一は作曲をすることにします。

すると池田は次に映画「長崎の鐘」の主題歌を作らないか?と裕一に聞きます。

裕一はその仕事を受け、「長崎の鐘」の原作者である永田医師に会いに、長崎を訪れました。

永田医師は、長崎に原爆が投下された直後から、患者を治療してきた医者。

永田医師の妹、ユリカ(中村ゆり)から当時の話を聞いたりしながら、裕一は曲を書き上げます。

というストーリーです。

吉岡秀隆さんの公式サイトでは、出演はこうなっていました。

第94回 10月22日(木)
第95回 10月23日(金)

2日間だけの登場となるのでしょうか?ちょっと寂しいですね~。

お医者さんとして登場する吉岡秀隆さん。コトー先生と間違わないでくださいね(笑)

 

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永田武医師のモデルは医師の永井隆で実在!軍医として活動

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「エール」の吉岡秀隆さんが演じる永田武は、ご本人が明かしているように、モデルは医師の永井隆さんです。

永井隆先生は1908年生まれ。古関裕而さんより1歳年上になります。

医師であった父の元、島根県で5人兄弟の長男として誕生しました。

とても優秀な子どもだったそうですが、運動は大の苦手。これって古関裕而さんと同じです(^^)

1925年に高校に入学すると、その学校のドイツ語教師からドイツ語を学びます。

1928年。高校を卒業した永井隆先生は、長崎医科大学に入学。

1931年に母親が急逝。このころからカトリックに興味を覚えます。

原爆投下後に発見された鐘のあった教会、浦上天主堂近の近くにあった、カトリックの森山家に下宿。

そこの一人娘とのちに結婚することになります。

大学時代に急性中耳炎を患い、右耳が不自由となってしまった永井隆先生。

希望していた内科をあきらめ、レントゲン科を選びました。

1933年に広島歩兵連隊に入隊し、軍医として満州事変に従軍します。

翌年に帰国し、大学の研究室助手に戻り、そのときに浦上天主堂近の神父を訪れ洗礼を受けます。

1937年に長崎医科大学の講師となり、私生活では長女が誕生。

子どもは1男3女。長女と三女は若いうちにお亡くなりになりました。

この年に軍医として日中戦争に従軍します。

帰国した1940年、長崎医科大学助教授となり、医学博士号を授与されました。

そして1945年。長崎に原爆が投下されます(>_<)

 

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永田武医師のモデルの永井隆は長崎で被爆!そして悲劇が

長崎医科大学は爆心地からたった700メートルしか離れていませんでした。

永井隆先生は右側頭動脈切断という重傷を負いながら、必死の救護活動にあたり、帰宅した永井隆先生は、そこで妻の遺体を見つけます(T_T)

子どもたちは三山に疎開していて無事でした。その疎開先で被爆者たちの救護を始めます。

ところがそれから1か月後。永井隆先生は昏睡状態に(>_<)

ですが無事一命を取り留めました。

 

永田武のモデルの永井隆の行ったある研究とは?

1946年に長崎医科大学教授に就任しますが、その年に倒れてしまいます。

病床に伏せながら、原子病と原子医学の研究をします。

1948年、来日していたヘレン・ケラーがなんとお見舞いにやってきます!

その年に大学教授を退官し、長崎市名誉市民となりました。

1951年意識不明となりますが、一時意識を取り戻し祈りを捧げ、その後息を引き取りました。

解剖の結果、死因は白血病による心不全。享年43歳でした。まだ若いです(>_<)

 

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永田武医師のモデルの永井隆と「長崎の鐘」と古関裕而との関係は?

「長崎の歌」がコロムビアレコードから発売されたのが1949年。

それから2年後にお亡くなりになった永井隆先生。きっと志半ばだったのだと思います。

その後も古関裕而さんとは手紙で交流していたそうですが、実際に会うことはかなわなかったそうです。

永井隆先生が亡くなった1年後、熊本の式典に招待された古関裕而さんと金子さんご夫妻。

永井隆さんが療養していた如己堂を訪れたとき、残された長男と次女にお会いになったそうです。

著書には「長崎の鐘」のほか、「この子を残して」「花咲く丘」「平和塔」などがあります・

そんな永井隆先生をモデルにした、永田武を吉岡秀隆さんが演じます。

窪田正孝さんとの共演も楽しみです。

 

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永田武医師のモデルの永井隆による「長崎の鐘」とは?

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さて、さきほどのストーリーに出てきた、裕一がこれから手掛けることになる「長崎の鐘」。

これは永田武(吉岡秀隆)のモデル、永井隆医師によるエッセイです。

「長崎の鐘」とは?

1945年8月9日午前11時2分。

長崎に原爆が投下されたとき、永井隆さんは爆心地に近かった長崎医科大学で助教授として勤務していました。

「長崎の鐘」は永井隆さんご本人も重症を負いながら、被爆者たちの救済をした記録です。

先日「エール」で戦争で兵士たちが死んでいく様子が描かれ、賛否両論となりましたね。

かなりショッキングな映像でした。

この「長崎の鐘」も、そのときの悲惨な様子が克明に記録されています。

崩壊された長崎市。やけどなどで死んでゆく同僚やまわりの人々・・・(T_T)

永井隆さんの奥様も、このときお亡くなりになりました。

永井隆さんも重傷を負い、一時は危篤状態になりましたが、まわりの懸命な努力で一命を取り留めます。

そんな悲惨な状況の中、ガレキの中から壊れずに出てきたものがあります。

それがカトリック教会、浦上天主堂の鐘です。

その鐘こそが「長崎の鐘」。

「長崎の鐘」は1946年に書き上げられますが、GHQによってしばらく出版されませんでした。

1949年にようやく出版され、ベストセラーとなっています。

 

「長崎の鐘」をもとに古関裕而が作曲し大ヒット

この年にこの本をモチーフにした、サトウハチローさん作詞、古関裕而さんが作曲の「長崎の鐘」が大ヒット。

サトウハチローさんは広島の原爆で弟さんを亡くされたそうです。

1番の歌詞です。

こよなく晴れた 青空を
悲しと思う せつなさよ
うねりの波の 人の世に
はかなく生きる 野の花よ
なぐさめ はげまし 長崎の
ああ 長崎の鐘が鳴る

この歌は戦後の国民にとっての鎮魂歌として大ヒット。

翌年の1950年に「長崎の鐘」は映画化されました。

日本人が作った、原爆を取り上げた映画第1号ですが、曲も映画もGHQの認可に通るように、原爆は描写されていません。

映画は永井隆医師の生涯を描いたつくりになっています。

「長崎の鐘」の曲を聴いて感動した永井隆医師。

サトウハチローさんと古関裕而さん、それに歌った藤山一郎さんに「新しき朝」という短歌を贈られました。

 

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永田武医師役の吉岡秀隆のプロフィールは?

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名前 吉岡秀隆(よしおか ひでたか)
生年月日 1970年8月12日(50歳)

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吉岡秀隆さんといえば、わたしにとっては「北の国から」の純くんですが、もう少し若い世代なら(^_^;)、「Dr.コトー診療所」のコトー先生でしょうか。

映画「三丁目の夕日」の茶川竜之介としてご存知の方も多いかも。

吉岡秀隆さんは5歳のときに劇団若草に所属。

子役として『大江戸捜査網』でデビューしました。

そして7歳のころの1977年、映画「八つ墓村」で萩原健一さんが演じた主人公の少年時代を演じ、映画デビュー。

1981年から映画「男はつらいよ」シリーズに、第27作目から50作目まで、寅次郎(渥美清)の甥っ子として出演していました。

また1981年からはドラマ「北の国から」でも、主人公の黒板五郎(田中邦衛)の息子、純役で出演。この作品も1981年から2002年までシリーズ化されています。

「北の国から」終了後の2003年からは『Dr.コトー診療所』に主演として登場。こちらも2006年までシリーズ化されました。

その後ドラマでは「猫弁シリーズ」「悪魔が来りて笛を吹く」「八つ墓村」などで主役を演じています。

映画は2020年には4作品に出演。「Fukushima 50」「宇宙でいちばんあかるい屋根」「峠 最後のサムライ」、そして今年の冬公開予定の「護られなかった者たちへ」です。

プライベートはまったくのシークレットな吉岡秀隆さん。

「北の国」で共演した内田有紀さんとの結婚だけは、みなさんもご存知だと思います。

びっくりしましたよね~。3年で離婚されてしまいましたが(^_^;)

そんな吉岡秀隆さんですが、朝ドラはなんと今回が初めて(≧∇≦)

これから「エール」にはいろんなキャストが登場します♪

さて吉岡秀隆さんが演じる、永田武とはどんな人物なのでしょうか。

永田武医師のモデルは長崎の鐘の永井隆で実在!のまとめ

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永田武はこれから朝ドラ「エール」に登場する新キャストです。

演じるのは吉岡秀隆さん。モデルは「長崎の鐘」の原作者である、実在した長崎の医師、永井隆さんです。

長崎に原爆が落とされたとき、その近くで被爆した永井隆先生。

自らも重傷を負いますが、周りの被爆者たちの救護に懸命にあたり、そのときの記録が「長崎の鐘」に描かれています。

さて、「エール」では永田武はどのように描かれるのでしょうか?

登場回数が少ない分、記憶に残る演技をしてくれると思います。

朝ドラ初の出演となる吉岡秀隆さんに、ただただ期待しています!

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